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7. 形態形成運動の機構

cAMP信号

細胞の集合から子実体形成までの細胞集団の運動がどのように組織されているのかという問題は,細胞分化の調節機構と並んでD. discoideumの発生のもう一つの大きなテーマであり,50年以上前におこなわれた次のような実験から,集合過程における細胞の組織化との関連が示唆されていた.Raperは,移動体の先端部が移動体全体の運動を統率していることを移植実験によって明確に示し,Bonnerは,移動体の特に先端部が集合期の細胞を強く引きつけることを明らかにした(Raper, 1940; Bonner, 1949).その後,移動体の細胞もcAMPレセプターを持ち,cAMPに対して走化性を示すとともに,cAMPの合成・分解ができることが明らかになり,多細胞体制においてもcAMP信号が細胞分化に必要なだけでなく,細胞運動の組織化に重要な役割を果たしているのではないかと考えられるようになった.均一に拡がった集合期の細胞を暗視野照明で観察すると,周期的なcAMP刺激に対する細胞の走化性反応によって明暗のパターンが生じるのを見ることができる(→ 映画).集合中の細胞が流れ込んでいる初期の多細胞体では,明暗の波が多細胞体の中心から周辺に拡がり,それが途切れなく集合の流れを遡って拡がっていくことから,多細胞体中でも周期的なcAMP信号の波が伝わっていることは間違いない(Rietdorf et al., 1996).発生が進み細胞の結合が強くなると,ふつうの暗視野照明ではこのような明暗パターンのコントラストが弱くなり,微速度撮影でしか見ることができなくなるが,わずかなODの変化を増幅する画像処理をおこなうことによって,このような細胞の反応のパターンを静止画像でも見ることができる(Siegert and Weijer, 1995).このような集合体中でも,集合の時と同様に回転する螺旋または外向きに拡がる同心円状の明暗の縞模様を見ることができ,いずれの場合も大多数の細胞は縞模様の進む方向と逆向きに周期的に運動する.先端が1μm程のガラス管を使って微量のcAMPを集合体にパルス状に注入すると新たな波がガラス管先端部分から拡がり,その波が自然に生じた波と出会うと消滅する(Rietdorf et al., 1998).また,集合体中の蛍光標識した細胞の運動を映画に撮ると,信号の波が通過するのに同期して細胞の運動方向に仮足を周期的に伸ばすのが観察される(Siegert and Weijer, 1991).

このように,形態形成期の細胞がcAMPの波をリレーすると同時にcAMPの信号に対して走化性反応をすることにほとんど疑う余地はないが,cAMPに対する走化性だけが形態形成期における細胞運動の統一を保っているわけではない.たとえば,cAMPや葉酸に対する走化性の能力を全く欠いている突然変異株の中には,移動体に移植すると行動を共にし,子実体形成にも加わって胞子や柄細胞に分化するものがある(大塚,1994).これらの突然変異株では,細胞が列をなして動きまわるのがしばしば観察される.野生型の移動体の細胞も,寒天の間に挟むなどして2次元に動きを制限すると,このような細胞の列を作り,あたかも2次元の移動体のように振る舞うが(Bonner, 1998; Nicol et al., 1999),この時の細胞の運動を詳細に観察すると,cAMPに対する走化性では説明できない現象が多い.このような細胞の動きはcontact followingとよばれることもあるが,その機構はおそらく細胞の接着による力学的なものか,接着分子に誘起される走化性であろう.このような機構があれば,cAMPのような走化性の信号が無くても集合体に見られるような細胞の渦巻き運動などの集団運動が自然に生ずる(Rappel et al., 1999).実際の形態形成運動でのcAMP信号とcontact followingの役割を知るには,cAMPレセプターや接着分子など,これらの機構の様々な要素に変異のある細胞の運動をより注意深く解析する必要がある.

突起の形成と伸長

集合はできるがその後の形態形成ができない突然変異体を比べると,初期の多細胞体にもいくつかの段階があることがわかる.このような突然変異体には,(1)細胞が集まってもはっきりした多細胞の単位というものができないものから,(2)明確なまとまりを持った平たい丘状の集合体を作るもの,(3)盛り上がった丘状の集合体を作り全体が細胞外マトリクスにおおわれるが突起ができないもの,(4)突起を作るがそれ以上に進まないもの,が区別できる(Carrin et al., 1996).このような分類は厳密なものではないが,大ざっぱには先に述べたcAMP信号で誘導される遺伝子発現に対応しているようだ.(1)は多細胞期の遺伝子発現のないGBFやLagCの破壊株,(2)は共通遺伝子を発現しているが,pst-遺伝子,またはpsp-遺伝子の発現がないもの,(3)(4)は予定柄細胞,予定胞子細胞ともに分化しているが,形態形成運動に必要な分子に欠失や異常があるもの,にそれぞれ相当しているように思われる.ここでは,形態形成期を通じてオーガナイザーとしての役割を果たす突起がどのようにしてできるかという問題を取り上げる.

通常の発生では,まずpstA細胞が集合体の頂上にあつまり,そこから突起が形成される.移動体を機械的にこわして予定柄細胞と予定胞子細胞の混ざった細胞のかたまりを作り,そこに微小なガラス管でcAMPをパルス状に与えると,予定柄細胞がガラス管の先端のまわりに集まり,しばしばその場所で突起が形成される(Matsukuma and Durston, 1979).同様のことは,カフェインで自分のcAMP合成を抑えた移動体の予定胞子領域にcAMPパルスを与えても観察される(上記).これらのことから,cAMPに対する走化性によって予定柄細胞がcAMPの信号源の一点に集まろうとするために突出するのではないかという想像ができるが,実際にそのような形態の変化が生じる機構としては次のような可能性が考えられる.(1)細胞の押す力が集積してその部分の圧力が高まる,(2)予定柄細胞間の接着力のちがいによる,あるいは(3)細胞外マトリクスが積極的に働いている.これらは互いに背反しないので,すべてが幾分かの寄与している可能性もあるが,どれも確かな証拠はない.しかし,細胞骨格の要素に欠陥のある突然変異体に突起形成が正常にできないものがいくつか見いだされていることから,今のところ(1)の可能性がいちばん状況証拠が多いといえる.この点を少し詳しく見てみよう.

ミオシンIIを欠く細胞ではpstA細胞が集合体の上部に選別することができず,突起も全くできない(Traynor et al., 1994; Sprinter et al., 1994).ミオシンIIは,集合期とおなじように多細胞期においても細胞膜のすぐ内側にフィラメントとして集積し,特に運動方向の反対側に多く分布することから,細胞の表層全体に強度を与えるとともに,運動の時に細胞の後部の接着をはがして引き寄せる働きをしていると考えられる.このようなミオシンの細胞内分布は特に予定柄細胞で顕著に見られる(Yumura  et al., 1993).ミオシンIIを欠く細胞を正常なミオシンIIを持つ細胞と混ぜ合わせておくと,突起を形成し子実体も形成するが,ミオシンを持たない細胞は正常細胞に押されて極端に変形したり細胞集団の辺縁に押しやられることが多い(Knecht and Shelden, 1995).ミオシンの調節L鎖(RLC)を欠く細胞でも突起形成が全くできない.これらの細胞では細胞内でのミオシンの分布にも異常が見られ,集合期の細胞の運動性も低い(Chen et al., 1994).一方,ミオシンの必須L鎖(ELC)を破壊した細胞では形態形成に対する影響は比較的弱く,予定柄細胞の選別は正常で,一部の集合体は突起を形成し子実体も形成する.このような細胞では単細胞の運動性はやはり低いが,ミオシンIIの細胞表層への分布はほぼ正常に調節されている(Chen et al., 1995).これらの結果から,移動体の突起形成には細胞表層の強度が重要だと考えられる.

ミオシン以外のアクチン結合蛋白の欠失によって突起形成が阻害される例も知られている.アクチンフィラメント架橋蛋白であるα-アクチニンと gelation factor(ABP120)の2重破壊株では,予定柄細胞と予定胞子細胞の分化は正常におこるが,突起の伸長が阻害され,細胞密度が高い時にはまったく伸長が起きない(Witke et al., 1992).これらの蛋白を単独でこわしたものでは形態形成は正常におこる.タリンBの遺伝子を破壊すると,細胞の分化は正常でpstA細胞の集合体上部への選別もおこるが突起の形成がまったくできない(Tsujioka et al., 1999).タリンは動物細胞ではFアクチンと膜貫通蛋白のインテグリンβ鎖とをつなぐ働きをしていて,D. discoideumでも細胞表層に存在し,F-アクチン結合配列を持つことから同様の役割を果たしていると考えられる(註7).タリンB破壊株の細胞は,ふつうの条件では野生株の細胞と同じように運動できるが,運動に対する抵抗の大きい条件では野生株の細胞に比べて運動能力が顕著に落ちることから,細胞外に対して十分に力を出せないと解釈できる(Tsujioka et al., in prep.).おそらく,タリンB破壊株の予定柄細胞は,集合体の頂上部に選別しても細胞外マトリクスの抵抗に打ちかって突起を形成するのに必要なだけの力を出せなために,自力ではその後の発生ができないのであろう.一方,ひとたび突起が形成されるとその後の突起の伸長と移動運動にミオシンが必要でないことが低温感受性のミオシンIIを用いた実験で示されている(Springer et al., 1994).これらの結果は,突起の形成がいちばん力を必要とするステップであることを示唆している.一方,力学的なモデルによるシミュレーションから,集合体の細胞の一部が他の細胞より強い力を出す場合に突起が生じることが示されている(Umeda and Inouye, 1999).

(註7)D. discoideumにはもうひとつタリンAが存在するが,こちらは集合期までに主な役割があると思われ,多細胞期にはタリンBの代わりはできない(Kreitmeier et al., 1995)

移動体の運動

移動体の運動の仕方は様々である.ふつうの条件では,先端部が上下運動を繰り返しながら移動することが多いが,上下動の程度は寒天表面の水分の量をはじめとする環境条件に大きく左右される.極端な場合には,微速度撮影で見ると形も速さもほとんど変えず,あたかも海面を行く船のような感じで動くものもあれば,空中に体を伸ばしてはまた下降するという動きを繰り返して,まるで海面をとび跳ねるイルカのように進む場合もある.また,移動体は水面上をも移動し,広いギャップでもとび越すことができ,さらに天井からつるしたり静電気で先端を引っ張ったりすると空中を難なく移動することもできることから(Higuchi et al., 1992; Shaffer, 1965; Bonner, 1995),移動体は自分が分泌した細胞外マトリクスがあればどこでも移動できることがわかる.移動体の細胞外マトリクス(slime sheath)はセルロースの他にEcmA蛋白,sheathinと名づけられた糖蛋白の一群など,多くの種類の蛋白を含み,tight mound以降の細胞集合体の維持と,各細胞の運動の基質として重要だと考えられている(Zhou-Chou et al., 1995).しかしセルロースやEcmAを作れない細胞でも移動体の形成と運動が可能なことから,slime sheathのそれぞれの要素がどのような働きをしているのかまだよくわからない(Blanton et al., 2000; Morrison et al., 1994).

移動体の運動のメカニズムのうち,細胞の運動がどのように組織されるかという問題はすでに触れたので,ここでは運動の力学的な側面を扱う.移動体内の細胞の動きを観察すると,これらの細胞は積極的に仮足を伸ばしながら運動しているように見える(Bonner, 1967; Siegert and Weijer, 1991).活発な細胞運動は予定柄細胞と前部様細胞の一部で特に目立つが,予定胞子細胞もやはり自力で動いていることは,運動性を失ったpstAB細胞を予定胞子細胞が乗り越えて前に進むことからわかる.ミオシンIIの細胞後部への集積が予定胞子細胞で見られることも,このことを示唆する.

移動体の移動速度と移動体の長さとの間に良い相関があり,これは移動の機構を知る一つの手がかりになっているが(Bonner, 1995),移動体の運動の機構を考察するには,どの細胞がどの程度の力を出しているかを知ることが必要だろう.移動体の力を測ろうとしても,そのままでは向きを変えるので正確に測るのはむずかしいが,寒天でできた細いトンネルに移動体を導き入れ,移動体の運動を止めるのに必要な圧力や遠心力から移動体全体が出す力を測定することができる.その結果,移動体の出す力はその体積にほぼ比例し,体積あたりの平均原動力は約60 N/cm3という大きな値であることがわかった(Inouye and Takeuchi, 1980; Inouye, 1984).これは移動体が自分の体重の約6000倍の重さのものを持ち上げられることを意味し,たとえば長さが1 mm,幅の平均が0.2 mmの平均的な移動体は2 ml近い量の水を持ち上げられることになる.また,予定柄細胞は予定胞子細胞の少なくとも6倍程度の力を出す.移動体の表層だけでなく内部の細胞も原動力に貢献しているとすると,細胞の表面積あたりの力は移動体全体の平均で8 x 10-3 N/cm2(80 pN/μm2)ほどで,これは大型のアメーバChaos chaosの値に近く,Physarumの1/10程度になる(Kamiya, 1953).

移動体の力が,その長さや表面積よりも体積によく相関していることは,移動体の内部の細胞も移動体の推進に貢献していることを示唆する.これに対して,移動体の内部の細胞が,そろって隣の細胞を足場に同じ方向に動こうとしても力が出せないとの考えから,移動体の運動には個々の細胞運動の速さが移動体の中心軸からの距離で違うことが必要だとの議論もなされている(Odell and Bonner, 1986).しかし,このモデルから予想される移動体内の対流のような細胞の動きは,ふつうの条件では見られない.一方,運動している細胞につけたマーカーが底質に対して動かないことから,移動体の中でも細胞の側面は外界に対して動かず,それが網目のように移動体の表面までつながっていて細胞の推進力の足場になっている,との考えも出されている(Shaffer, 1968; Bonner, 1967).いずれにしても,移動体内部の細胞の間にも薄い細胞外マトリクス層があると思われ,細胞間にセルロースも検出されることから,細胞骨格が接着班のような構造を介して細胞外マトリクスの網目状につながり,細胞の仮足の伸長の足がかりになっていると思われる.

移動体の走性

移動体の運動でもっとも目を引くのは,光の来る方に向かう性質だろう.これは子実体形成の時にも,またD. mucoroidesのように柄をつくりながら移動する種でも見られるが,その後,温度,湿度,pH,アンモニアなどの勾配にも運動方向が影響されることが明らかになった.この中で,走光性(あるいは光走性,phototaxis)と走温性(または温度走性,thermotaxis)が詳しく調べられている.細い垂直の光のビームを移動体先端部の片側にあてると,その移動体は光の反対側に曲がるが,側面から光を受けた移動体は光源の方向に向きを変える.これは透明な移動体がレンズの働きをして,側面からの光線が光源と反対側に収束するためで(Francis, 1964),例えば移動体より光の屈折率が高い流動パラフィンの中では移動体が側面からの光から遠ざかることでも確かめられる.走光性の作用スペクトルも調べられており,420 nm,440 nm,560 nm付近の光に強く反応し,650 nm以上の波長にはほとんど反応しない(Francis, 1964; Poff and Häder, 1984).移動体の走光性は,単に移動体が光の方にまっすぐ向かうという単純なものではない.培地にフッ素イオンやEGTAを含むと,移動体は光の来る方向から左右に一定の角度ずれた方向に進む(Dohrmann et al., 1984).この角度は,移動体が光の来る方向に向かおうとする力と離れようとする力のつり合ったところと考えられ,培地に何も入っていない条件ではこの角度が小さいために移動体が大体光の来る方向に進むように見えると考えられている.走温性も単純でない.移動体の細胞が育った温度付近では0.05 C/cmというごくわずかな温度差をも感じて温度の高い方に進むが,この温度域から外れると,この傾向はだんだん弱まり,ある程度以上の低温または高温の領域では温度の低い方に向かうようになる.細胞性粘菌が野外の土壌の表面近くに生息していることを考えると,地表の温度が下がる夜間でも温度が上がる昼間でも子実体を作るのに適した地表に移動体が向かうのに都合よくできていると想像されている.

個々の細胞も走光性を示すことが知られており,光受容体も同定されているが(Schlenkrich et al., 1995),移動体の走光性を引き起こす光受容体として単離されたヘム蛋白について詳しいことはわかっていない.走温性の受容体は光受容体とは異なるが,ほとんどの走光性の突然変異体で走温性にも同じ変異があらわれることから,受容体から後の信号伝達経路はすぐに合流すると考えられている(Fisher, 1997).この共通の経路で特に注目されるのは,わずかな温度変化や光照射でcGMP量の変化が誘導されることだろう(Darcy et al., 1994).集合期の細胞では,cAMP信号でcGMPの速い変化がおこり,ミオシンの細胞表層への集積が調節されている(3章を参照).一方,走光性や走温性ではcGMPの変化はゆっくりした反応であることと,走光性・走温性の突然変異体で光や温度で誘導されるcGMP変化に異常のあるものでも,cAMPで誘導されるcGMP反応が正常なことから,移動体の走光性,走温性には,細胞の走化性と別の経路が使われていると思われる.細胞骨格蛋白の中では,アクチン架橋蛋白のgelation factor(ABP120)が走光性,走温性に必要であることが示されている(Fisher et al., 1997).

光や温度勾配が移動体の向きに影響する仕組みについての有力な仮説は次のようなものである.移動体の細胞は突起形成を活性化する能力と抑制する能力を持っていて(上述のtip activationとtip inhibitionに相当すると考えていいだろう),活性化が抑制を上回っているところで突起が安定に存在するとし,そのバランスが光や温度勾配によって一時的に変化して突起が横方向にずれると,移動体の運動方向が変わるというものである(Fisher et al., 1997).突起の活性化はcAMPによると考えられている.一方,抑制物質としてSTF(slug turning factor)とアンモニアの2つの可能性が考えられている.STFは,移動体から分泌される物質の中に見いだされた活性で,移動体の走光性と走温性を弱くするほか,移動体は高い濃度のSTFから逃げる.分子量は500以下と思われるがその正体はまだわかっていない(Fisher et al., 1981).一方,移動体はアンモニアの濃度の高い方から逃げるだけでなく(Kosugi and Inouye, 1989),走光性も走温性もアンモニアによって乱される(Bonner et al., 1988; 1989).光がアンモニアの生成を高めることから,光を受けた側の細胞ではアンモニアの生成が高まり,突起の抑制が強くなるために突起が反対側に移動するという議論が成り立つ.また温度が高いほど多くのアンモニアが放出されることから,同様のことが走温性に対しても言える.さらに,蛋白分解酵素を含んだ小さなビーズを移動体のそばに置くと,その移動体は顔をそむけ,蛋白分解の阻害剤を含むビーズには寄っていくことも示された(Bonner, 1993).アンモニアの生成が主に蛋白の分解によることから,これらの結果は,実際に移動体が生成しているアンモニアが移動方向に影響していることを示すものだと言える.

移動体を自動車にたとえると,上の考えは光や温度勾配によってハンドルをどちらかに切って進む方向を変えるのに相当するが,片側の車輪をより速く回転させることによっても曲がるだろう.低い濃度のアンモニアは細胞の運動速度を上げる(Bonner et al. 1989; van Duijn and Inouye, 1991).光刺激によって移動方向を変えつつある移動体の先端付近では,細胞の運動パターンに変化が生じ,回転の外側の細胞の運動速度が高くなる(高橋,1999).しかし,突起の運動方向の変化と内部の細胞運動の変化の因果関係を知るには,移動体内部での細胞運動のより詳細な解析を待たねばならない.

子実体形成

子実体の形成は,それまでと同様に細胞のアメーバ運動によるところが多いが,それに加えてセルロース合成が必須である.D. discoideumのセルロース合成酵素の遺伝子は,Acetobacterのものと高い相同性があり,その欠損株では柄細胞の細胞壁とstalk tubeがつくられず,細胞集団を支えられるような柄ができない(Blanton et al., 2000).

子実体形成過程ではこれまでにない複雑な形態変化がおこり,新しい構造も作られるので,その機構にはまだ不明なところが多い.移動体が子実体形成を始めるとき,まず移動体の先端が前進を止める.前に述べたように,脱水または酸性化を引き起こす環境が子実体形成を誘導することから,高い浸透圧や活性物質の濃縮,細胞質のpHの低下などが,cAMP合成やpH依存性のアクチン架橋蛋白の活性に影響して,cAMP信号や先端部の細胞の運動能力を変化させていることが想像される.移動体先端部の停止に続いて,移動体全体がずんぐりした形になるとともに,突起が移動体の上方に移動する.先頭が停止したあとも後続が前進するので全体が丸くなるという現象は,突起を切除した移動体でも見られたもので,先端近くでは前進できなくなった細胞の渦巻き状の運動がおこる.この過程で突起が一度姿を消すこともあり,そのような場合には予定柄領域,予定胞子領域の配列も乱れる(Tasaka and Takeuchi, 1983).これに続いて移動体の底の部分が絞り込まれる.これらの現象には,予定胞子域内のpstB細胞が重要な役割を果たしているらしい(Jermyn et al., 1996; Dormann et al., 1996).

この間に突起内部ではstalk tubeの形成が始まり,その中に予定柄細胞が次々に上から入っていく.Stalk tubeに入った予定柄細胞では液胞が急速に発達し,それに続いて細胞壁が作られるが,上端に予定柄細胞が積み重なって柄の伸長がおこるにもかかわらず突起は沈み込むので,柄全体は下向けに伸びることになる(Raper and Fennel, 1952).移動体の先端付近にあったpstAB細胞の小集団は,柄の原基になると考えられていたが,移植実験の結果,これらの細胞は下に伸長する柄に先立って予定胞子領域を下降し,pstB細胞と合流して基盤の一部となることが示された(Sternfeld, 1992).このpstAB細胞の動きは方向性が強く,また子実体形成の間,予定胞子域の下端部分でcAMP濃度が一番高いことから(Merkle et al., 1984),cAMPに対する走化性運動である可能性が示唆されているが,同じ場所に移植されたpstA細胞は上方に選別され(Sternfeld, 1992),また,外部の細胞を引きつける力は子実体の先端の方が強い(Bonner, 1949).pstAB細胞に続いて柄の先端が基盤に突入するが,そこから先に行けなくなった柄は今度は上方に伸び初め,同時にsorogenもふたたび縦長になりながら上昇を始める.柄の原基の下降が走化性によるのか,あるいはそれに続いておこるsorogenの上昇運動と同じ機構によるのかは明らかでない.

柄の伸長の速さは中程までほぼ一定だが,そのあと次第に遅くなる(Bonner and Eldridge, 1945).微速度撮影で見ると,速く伸びる期間とゆっくり伸びる期間が6分ほどの周期で規則的に繰り返すのがしばしば見られる(Bonner, 1944; Higuchi et al., 1982).これは,細胞の周期的な運動の成分と,柄細胞の体積の増大による連続的な成分の重ね合わせの結果と考えられている(Durston et al., 1976).

予定胞子細胞から胞子への分化は,柄の高さが子実体の最終的な高さの1/3程度の時におこることが多い(Bonner, 1944).この頃には,予定胞子領域の下端はふつう地面から離れている.予定胞子細胞がここまで自力で這い上がってくるのか,予定柄細胞や前部様細胞に助けられて上昇するのか,はっきりしていなかったが,ミオシンのRLC遺伝子を破壊した細胞に同じ遺伝子をecmAプロモーターの制御下で発現すると,柄の伸長は正常におこるが予定胞子細胞が子実体下部に残ることから,予定胞子細胞みずからの運動が必要なことが示された(Chen et al., 1998).胞子は自分の力では動けないので,ここから後のsorogenの上昇は,柄細胞の体積増加と,まだ残っている予定柄細胞とupper cup, lower cupの細胞によっているにちがいない.実際,胞子を取り除いた後に「移植」された油滴が,あたかも胞子塊のように上昇することが示されている(Sternfeld, 1998).(→ 映画


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前田靖男 編(2000) 「モデル生物:細胞性粘菌」 アイピーシー ( 出版社による本の紹介)
第6章第2節 井上 敬 「分化パターンの調節と形態形成」 (一部改訂)
- 出版社および編者の承諾を得て掲載 -

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