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6. 分化した細胞の空間配置

予定柄細胞・予定胞子細胞のパターンの生成

移動体に見られる細胞分化のパターンができる機構に関して,細胞の位置によって分化形質が決まるのか,分化した細胞がそれぞれの位置に移動するのかという論争が続いた時期があったが,細胞の選別がパターンの形成に重要であることは疑う余地がない.

細胞性粘菌の多細胞組織は,遊離細胞が集合してできることからも推測できるように,動物の組織のようなシート状の胚葉を主体としたものではなく,細胞間の結合が比較的緩い.この点で動物の中胚葉組織に似ている.集合体の表面が,細胞外マトリクスでできたシースに覆われると,それに接する最外層の細胞は比較的結合の強いシート状になるが(Fuchs et al., 1993),集合体内部では,電子顕微鏡観察からもわかるように細胞外マトリクスの量が少ない.そのため,例えば力の強い細胞が,細胞間の接着の緩いところに仮足をのばして割り込み,相対的な位置関係を変えるというようなことがかなり自由にできる.細胞の選別が分化パターンの形成に働いているのではないかという考えは早くからあった.Bonner(1952)は,移動体の予定胞子細胞域に生体染色した他の移動体の予定柄細胞を移植すると,移植された予定柄細胞群がホストの予定柄領域まで移動することを見いだし,予定柄細胞と予定胞子細胞がそれぞれの適切な場所にみずから移動して最終的な分布パターンを作り上げる可能性を示唆した.さらに竹内らは,増殖期の間に生じた細胞間の違いに応じて細胞選別が起こることを明確に示した(竹内・佐藤, 1965).しかし,細胞間の違いが予定柄細胞または予定胞子細胞への分化のしやすさを規定し,分化した細胞が選別されてパターンを形作ることは,それぞれの細胞型の確実なマーカーを用いた実験によって確かなものになった(6.1を参照).

上に述べたように,予定胞子細胞はPSVの存在によって同定できるが,細胞集合体内で最初に検出可能な予定胞子細胞は,まとまった集団としてではなく散在した状態で出現する(Tasaka and Takeuchi, 1981).一方,ecmAやecmBのマーカーを発現した細胞の集合体中での分布パターンと運動の解析から,予定柄細胞も同様に集合体全体に散らばって分化し,突起が形成されるときにその部分に選別されることが示された(Williams et al., 1989; Hopper et al., 1993).この時,予定柄細胞が集合体の頂上や周辺に選別するのは,酸素濃度が高いためではないかと推測されている.これは,酸素濃度の異なる2つの部屋の間の壁に集合体を埋めると,必ず酸素濃度の高い方に予定柄細胞が選別することから示唆された(Sternfeld and David, 1981b).その理由は明らかでないが,酸素濃度の高い時にはcAMP信号の生成または伝播が高まるのではないかと推測されている(Wang and Schaap, 1985).また,高い酸素濃度の時に予定柄細胞の比率が顕著に大きくなることが示されているが(Miné, 1966; Sternfeld, 1988),これも同じ理由によるものかもしれない.しかし,培地中への拡散によってつくられるcAMPの濃度勾配だけでも,集合体の頂上部への選別がおこりうることが計算機シミュレーションで示されている(Belintsev, 1984).

このような細胞選別が起こる機構として,細胞間の接着性あるいは親和性の違いによる場合と,走化性運動による場合が考えられている.予定柄細胞と予定胞子細胞の選別に,多細胞期に出現する接着蛋白gp150が関与していることを示す結果も得られている(Siu et al., 1983).一方,cAMPを分解するホスホジエステラーゼを過剰発現する株では選別が阻害されること,人為的に与えたcAMPに対して予定柄細胞が引き寄せられること,などから,cAMPに対する走化性運動が重要であることは間違いない(Traynor et al. 1992; Sternfeld and David, 1981a; Matsukuma and Durston, 1979).細胞の積極的な運動がパターン形成の主要な機構であることは,次のような実験事実からも示唆される.移動体から分散した予定柄細胞の各サブタイプと予定胞子細胞が,cAMPを含んだ細いガラス管に向かって動く細胞の速度を比較すると,pstA細胞が最も大きく,pstO細胞がこれに続き,予定胞子細胞の速度はかなり小さい.さらにpstAB細胞はcAMPに向かってほとんど動かない.この順位は,移動体中でのこれらの細胞の配置に対応している(Abe et al., 1994; Early et al. 1995).pstAB細胞が移動体の先端近くに見いだされるのは一見これと合わないようだが,pstAB細胞を強く染色するmethylene blueで生体染色された細胞の挙動の詳細な観察から,これらの細胞はpstAB領域に安定して存在するのではなく,むしろこれらの細胞はecmBを発現し始めてからしばらくたつと運動能力を失い,その場に取り残される(Sternfeld, 1992).

上記の実験の走化性運動の速さの違いが,cAMPに対する感受性の違いなのか,細胞の運動性の違いなのかは明らかでないが,いずれにしても,細胞集団の中で同じ強さの走化性信号に反応するとき,より強い反応を示す細胞はより大きな力を出していると考えられる.同じ環境で同じ方向に進もうとする細胞間では,より大きな力を出す細胞の方が前方に選別する結果,力の大きさの順に並んだ平衡状態になる.実際に移動体の出す力を測定すると,予定柄細胞は予定胞子細胞の少なくとも6倍の力を出すことが示される(後述).平衡状態にある選別パターンを人為的に乱すと,上のBonnerの実験が示すように元の配置に戻る.このようなパターンの復元は予定柄領域と予定胞子領域の間だけではなく,pstA細胞とpstO細胞の間,また予定胞子領域の中の前の部分にいる細胞と後ろの方にいる細胞の間でもおこる(Bühl and MacWilliams, 1991; Bühl et al. 1993).

前部様細胞(ALC)と突起の再生

前部様細胞は,存在する場所を除けばほとんど前部にいる予定柄細胞と区別できない(Devine and Loomis, 1985).多くの前部様細胞は,大きな速度の揺らぎを伴ってはいるが,予定胞子細胞とほとんど変わらない平均速度で動く(Kakutani and Takeuchi, 1986).上に述べた原動力の順に細胞が配列しているという仮説に従うと,前部様細胞は予定胞子細胞と同じ程度の力しか出していないことになる.しかし,効率的な力の発生に必要なミオシンやタリンBなどの細胞内の量や分布は,前部様細胞と予定柄細胞で差がないことから(「7. 形態形成運動の機構 − 突起の形成と伸長」を参照),前部様細胞は前方への選別に必要な力を出さないような信号を受けていると考えられる.

前に述べたように,移動体の予定柄領域を取り除くと,予定胞子領域にいた前部様細胞は1時間ほどの間に集まって新たな予定柄領域を作り,そこから突起が再生する.このことから,移動体の先端部分は前部様細胞の前方への選別を抑えるとともに,新たな突起ができるのも阻害していると思われる(Sternfeld and David, 1982).移動体を低い濃度のアンモニア環境に置くと予定柄領域が縮小し,その分だけ前部様細胞が増えることから,アンモニアによって前部様細胞が前に進出するのが阻害されている可能性がある.逆に移動体が生成するアンモニアを酵素的に除くと,予定胞子領域全体に散在していた前部様細胞が何か所かに集まり,場合によってはそこから突起を生じるので,アンモニアは前部様細胞が集まって新たな突起を作るのも抑制している(Feit et al., 1990).

突起の抑制と突起の形成

一方,移動体を4〜5 mMのカフェインを含む寒天におくと,1時間あまりの間に前部様細胞が予定胞子領域の何カ所かに集結し,それぞれが新たな突起を生ずる.また,細いガラス管を用いて人工的なcAMPのパルスを予定胞子領域にあたえてもほとんどの前部様細胞はそれに引きつけられないが,カフェイン上では30分以内にcAMP源のまわりに集まり,1時間ほどの間にそこから新たな突起ができる.カフェインはcAMPの信号の伝播を抑えるので,以上の結果は移動体の先端から伝えられてきたcAMPの信号が抑えられたためと解釈できる(Rietdorf et al., 1998).つまり,リレーされてくるcAMPの信号も2次的な突起形成を抑制していると言うことができる.カフェインが無いときに人工的なcAMPパルスによって前部様細胞の集合と突起形成を起こせないのは,移動体中での本来のcAMP信号の振幅や振動数が最大になっているため,付け入る隙がないのではないかと解釈されている.

この突起形成の抑制(tip inhibition)は,移植実験によって明瞭に見ることができる.移植実験というのは,ホストの移動体に別の移動体の小片を移植したときに,移植片がホストの移動体の中で新たな突起を形成して移動体の分裂を引き起こすかどうかを調べる実験で,その結果から,移植片の突起形成能力とホスト移動体がそれを抑える能力を知ろうとするものである.たとえば,移動体の予定柄領域からとった細胞を別の移動体の後方に移植すると高い確率で新たな突起が形成されるが,予定胞子細胞を同じように移植しても移植された細胞はホスト内で散らばって突起は形成されない.この結果は,予定柄細胞は予定胞子細胞より突起形成能力(tip activation)が大きいと解釈される.しかし同じ予定柄細胞でもホスト移動体の前の方に移植されるほど突起を形成できないことが多い.つまり突起形成を抑制する信号は移動体の前の方が高い.同様の実験は,前部を取り除いた移動体に別の移動体の前部を移植する方法や,移動体後部で新たな突起が形成されるまでの時間を測ることでもおこなわれた(Durston, 1976; Lokeshwar and Nanjundiah, 1983).62.4(4)で触れたprpAとprpZ突然変異株の突起形成能力とその抑制能力を移植実験で調べると,prpAの細胞は突起形成抑制作用に対する感受性が高く,prpZの細胞はこのような抑制物質をより速くこわすと解釈できる結果が得られた(MacWilliams, 1982).もし突起形成抑制作用と予定柄分化抑制作用が同じ信号によっているとすると,prpA細胞の混合実験と移植実験の結果が矛盾無く説明でき,いずれの実験からもアンモニアとcAMPが抑制に関わっていることが示唆される.アンモニアに対する感受性の高いslugger突然変異体の中に,予定柄領域が小さいと同時に突起形成抑制に対する感受性の高いものがあることも,アンモニアの関与を示唆している.

この突起形成の競争は,集合体から最初に突起が形成されるときにもおこっている(Kopachik, 1982).人工的に大きな細胞塊を作っても突起の数が増えるだけで,むやみに大きな移動体ができないのも,この抑制のためと考えられる(Hohl and Raper, 1964).突起抑制作用の弱い突然変異株では小さな子実体がたくさんでき,予定柄細胞の比率も高い(Forman and Garrod, 1977).


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前田靖男 編(2000) 「モデル生物:細胞性粘菌」 アイピーシー ( 出版社による本の紹介)
第6章第2節 井上 敬 「分化パターンの調節と形態形成」 (一部改訂)
- 出版社および編者の承諾を得て掲載 -

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