KDG Archive — Redirected from the former Kyoto Dictyostelium Group Website
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5. 子実体形成期における分化の調節

分化抑制の細胞内信号伝達機構

移動体が運動する期間は一定していないが,子実体の形成が始まると,個々の予定柄細胞と予定胞子細胞は短時間でそれぞれ柄細胞・胞子へ分化する.このことから,移動体中では予定柄細胞と予定胞子細胞から柄細胞と胞子への分化が抑制されているのではないかと推測される.もしそうだとすると,この抑制を人為的にはずした時には柄細胞や胞子への分化がおこるだろう.膜透過性の高いcAMPのアナログである8-bromo-cAMPに移動体の細胞を曝すと,まさにこのような現象が見られる(Kwong et al., 1988; Maeda, 1988; Kay, 1989).8-bromo-cAMPは,細胞表面のcAMPレセプターに対するアゴニストとしての作用は弱いが,PKAの調節サブユニットには強く結合し,触媒サブユニットに対する阻害を解除する.このことから,柄細胞と胞子の分化は,ともに細胞内のcAMPの濃度の上昇によってPKAの調節サブユニットの阻害が外れることが引き金になっているのではないかと考えられた.一方,突然変異によって分化の抑制機構のどこかに欠陥が生じた場合にも同様の早まった分化が見られる.胞子は熱や界面活性剤に抵抗力があり,このような突然変異体のスクリーニングが可能なので,(1)通常より早く胞子ができる突然変異体(rde mutants),(2)低密度の単層培養条件で胞子が分化する突然変異体(sporogenous mutants),さらに(3)胞子分化がほとんどできない突然変異のサプレッサー変異体などが単離され,いくつかの原因遺伝子が同定された.rde突然変異体の中で,rdeA破壊株は細胞内のcAMP濃度が異常に高いこと(Abe and Yanagisawa, 1983),rdeC遺伝子座がPKAの調節サブユニットをコードしていることが見いだされ,細胞内のcAMPの濃度の上昇によってPKAの調節サブユニットの阻害が外れることによって胞子分化がおこることが示された(Simon et al., 1992).このことはPKAの触媒サブユニットやdominant negativeの調節サブユニットをpsp-遺伝子のプロモーターの制御下で発現させることでさらに確かめられた(Anjard et al., 1992; Hopper et al., 1993a).

一方,上の(1)〜(3)の形質を指標にスクリーニングされた突然変異体の原因遺伝子として,2つのドメインを持つRegAが同定された.RegAタンパクには,細菌の走化性や胞子形成,酵母の浸透圧調節,Arabidopsisにおけるエチレン応答,などで知られていた2成分リン酸基転移系(two-component phospho-relay system)の応答レギュレーター(response regulator)に相同のドメインと,cAMPを分解するphosphodiesteraseドメインがある(Shaulsky et al., 1996; Thomason et al., 1998; Tabuchi and Ishida, 1996),さらに,rdeA遺伝子が,酵母のリン酸基転移経路においてリン酸基をヒスチジンキナーゼから応答レギュレーターに受け渡す小さな蛋白であるYpd1に弱い相同性のある蛋白をコードしているだけではなく,rdeA突然変異がYpd1で相補されることが見いだされた(Chan et al., 1998).これらに加えて,RdeAとRegAの間でのリン酸基の受け渡しが直接証明されたことから(Thomason et al., 1999),胞子分化の抑制には,リン酸基転移系を介して標的のRegAを活性化させることによってcAMP濃度を低く保ち,PKAの活性化を抑えるという機構が働いていることが明らかになった.胞子分化に必要なcAMPの合成は,集合期のadenylyl cyclase(ACA)とは異なり,ACRによると考えられる.ACRも応答レギュレーターを持ち,リン酸基転移系によって制御されている可能性がある(Söderbom et al., 1999).一方,pstA細胞においてPKAの活性化を抑制すると柄細胞への分化が阻害され,逆にPKAを活性状態にすると柄細胞分化が促進されることから,柄細胞の分化においてもPKAが重要な位置を占めることが明らかになっている(Harwood et al., 1992; Hopper et al., 1993a).さらに柄細胞の分化にも2成分リン酸転移系がかかわっていることが示唆されている(後述).

柄細胞分化の抑制

子実体の形成は細胞性粘菌の発生でもっとも大きな形の変化のおこる過程で,その形が間違いなく作られるためには,柄細胞と胞子の分化の抑制を厳密にコントロールしながら解除する機構があるはずだ.それを知るためには,まず分化の抑制の細胞間信号の実体を知る必要がある.

子実体形成の抑制

子実体形成は予定柄細胞から柄細胞への分化から始まるので,柄細胞分化を抑制する信号は子実体形成を抑えると考えられる.移動体が移動を続けるか,移動をやめて子実体を作るかの選択には環境が大きく影響され,低いアンモニア濃度,乾燥,高い浸透圧,低いpH,などの環境では子実体形成をおこしやすい(Raper, 1940; Slifkin and Bonner, 1952; Schindler and Sussman, 1977).また,移動体の先端が水から離れても子実体になりやすい.例えば湿度が高くても水を透過しないフィルムの上にはいあがった移動体の多くは移動を停止してその場で子実体になる.上方からの光も子実体形成の誘導に用いられるが,これは移動体の走光性によってその先端が底質の水から離れるためである(Bonner et al., 1982).さらに,同じpHでも弱酸があると子実体形成が誘導される.逆に,アンモニアなどの弱塩基は子実体形成を阻害する(Gee et al., 1994).一方,シャーレ中での単離細胞の条件でDIFを与えると,多くの細胞はそのまま柄細胞にまで分化するが,移動体のままで高濃度のDIF環境においても子実体形成が誘導されないことから,移動体中で柄細胞の分化を抑制している物質が,シャーレ中の低い細胞密度では希釈されて有効に働かないのではないかと考えられる.このような物質として第一にあげられるのがアンモニアである.

アンモニア

アンモニアはD. discoideumの発生過程の節目ともよべる3つの出来事,すなわち(1)細胞の集合,(2)集合体からの突起形成,(3)移動体からの子実体の形成,のすべてを阻害する(Schindler and Sussman, 1977; Gee et al., 1994).このような阻害がD. discoideumの発生過程で細胞から放出される程度のアンモニアによっておこりうることから,アンモニアは細胞分化や形態形成の調節機構の重要な要素ではないかと考えられるようになった.

Sussmanらは,集合期の細胞の懸濁液にアンモニアを加えると細胞内と外液のcAMPレベルが急速に落ちることを見いだし,それがcAMP刺激に反応して合成される細胞内cAMP量の減少によることを示した(Schindler and Sussman, 1979; Williams et al. 1984).Sluggerと名づけられた一群の突然変異体は,本来は子実体を形成する高塩濃度の条件で移動体のままとどまり,野生型に比べてずっと低い濃度のアンモニアで集合,突起形成,子実体形成が共に阻害される(Gee et al., 1994).Slugger突然変異体の一つKY3では,アンモニアによるcAMPリレー反応の阻害も同様に低い濃度でおこる.これらの結果から,アンモニアによる集合,突起形成,子実体形成に対する阻害作用は,アンモニアがcAMP合成を抑制することによると考えられた.実際,cAMP集合の過程では走化性物質としての多量のcAMPの合成の他にPKAの活性化も必要であり,多細胞体からの突起形成にもcAMPの分泌が欠かせない.先に述べたように,子実体形成の開始に必要な柄細胞の分化はPKAの活性化が引き金となっておこる.このようにアンモニアは移動体において予定柄細胞から柄細胞への分化の抑制に主要な役割を果たしていると考えられる.

アンモニアによるcAMP量の制御には,(1)アンモニアの作用で細胞質のカルシウム濃度が上昇し,その結果アデニル酸シクラーゼの活性が抑えられる,という経路と,(2)dhkCヒスチジンキナーゼに始まるリン酸基転移系を介してcAMP分解酵素であるRegAを活性化する,という経路の2つの可能性が考えられている.(1)の仮説は次のような論理に基づいている.様々な弱塩基が柄細胞の分化を抑制する程度と,それぞれの弱塩基の膜透過性との間に強い相関があることから,アンモニアをはじめとする弱塩基の作用は細胞内の酸性小胞膜のpH勾配の減少によることが推測される(Davies et al. 1993).また,酸性小胞膜のpH勾配を無くすとカルシウムイオンの小胞への取り込みが阻害され(Rooney and Gross, 1992),細胞質のカルシウムイオンの濃度が上がると,細胞外からのcAMP刺激が誘起するアデニル酸シクラーゼ活性化が抑えられる(Brenner and Thoms, 1984).(2)の説も強い根拠を持っている.ヒスチジンキナーゼのひとつdhkCを欠く細胞はrdeの形質を示し,アンモニアによっても子実体形成が抑えられないのに対し,dhkCのキナーゼ部分だけを強制発現した細胞は強いsluggerの表現型を示し,ecmBの発現もまったく見られない.さらに,このsluggerの形質が生じるには,dhkCにおけるリン酸基の中継点であるアスパラギン酸残基とRegAの存在が必要なことも示されている(Singleton et al., 1998).アンモニアとdhkCをつなぐ道筋はまだわかっていないが,(1)の経路の一部を共有している可能性もある.

cAMPと柄細胞分化

アンモニアが移動体における柄細胞分化の抑制に寄与していることに疑問の余地はないが,細胞外のcAMP信号の柄細胞分化に対する影響は少し複雑である.予定柄細胞の分化にcAMPの信号が必要なのに対し,浸透培養や単層培養の条件では,柄細胞の分化は高濃度のcAMPによって阻害される(Berks and Kay, 1990).GSK3やcAR3の遺伝子を欠く細胞ではこの阻害がまったく見られないことから,このcAMPの作用はcAR3レセプターを介するGSK3の活性化によると考えられる(Harwood et al., 1995).しかし,予定柄細胞ではcAR3はほとんど発現しておらず,また移動体内の細胞外cAMP濃度を強制的に下げても柄細胞分化がおこらないので(Wang and Schaap, 1989),移動体内でcAMPが柄細胞分化を抑制しているとは考えにくい.逆に,cAMPに対する親和性の低いcAR2レセプターがecmB遺伝子の転写を誘導することから,高濃度のcAMPは柄細胞分化を促進する可能性が高い.

弱酸による柄細胞分化の誘導

上述のsporogenous突然変異体の単層培養では,プロピオン酸のような弱酸,またはdiethylstilbestrol(DES)のようなプロトンポンプの阻害剤は,胞子分化を抑制し,柄細胞の分化を強く促進する(Gross et al., 1983).一方,野生型の移動体は,低濃度の弱酸にさらされると直ちに移動を停止し子実体を形成するが,高濃度では前部様細胞を含む予定柄細胞がその場で柄細胞に分化する(Inouye, 1988b).アンモニアなどの弱塩基を短時間あたえた後に除くことでも同様の現象が見られる.いずれの場合にも細胞質のpHが一過的に低下すること,また,pHの低下を阻害する条件では柄細胞への分化も抑えられることから,細胞質pHがある閾値以下になると予定柄細胞から柄細胞への分化が引き起こされると考えられる(Inouye, 1988a).この細胞質の酸性化が,上記のPKAを中心とする信号伝達経路のどこに作用しているのかはまだ明らかでないが,移動体や形成途上の子実体における細胞質pHのin situ測定から,pstAB細胞の細胞質pHは他の予定柄細胞や予定胞子細胞より顕著に低く,柄細胞分化が始まるとさらに強い酸性化がおこる(井上,未発表).また,柄細胞の液胞内のpHは極端に低い(Kay et al., 1986).以上のことはPolysphondyliumでも確かめられており,細胞質の酸性化によって柄細胞分化が開始されるのは一般的な現象だ思われる.そうだとすると,子実体形成過程で柄細胞の分化がごく限られた領域だけに限られる機構として,次のようなモデルが考えられる.柄細胞分化は急速な細胞質の分解を伴い,脱アミノ反応によって多量のアンモニアを生じる一方,炭素原子と水素原子は弱酸である有機酸となって残される.アンモニアが速やかに拡散して広い範囲で柄細胞の分化を抑制するのに対し,分子量がより大きく負の電荷を持つ有機酸は,分化しつつある柄細胞の近くに蓄積しやすく,まわりの予定柄細胞の細胞質pHを下げて柄細胞分化のスイッチを入れる(Inouye, 1990).このような自己触媒的な機構に加えて,予定柄細胞は柄細胞分化が誘導されるまで移動体先端に向かって運動を続けることを考慮に入れると(「7. 形態形成運動の機構 − 子実体形成」参照),細長い形態の柄の形成をある程度説明できるかもしれない.

SDF-1

上のモデルで柄細胞分化を自己触媒的に誘導する物質としては,電荷が中性になりやすい1価の有機酸が考えられるが,より特異性の高い分化誘導分子が関与している可能性もある.Spore-inducing factor-1(SDF-1)は低分子量のペプチドで,胞子と柄細胞の分化を誘導する.この分子はおそらく予定柄細胞で作られ,その分泌が自己触媒的におこることから,上のモデルの有機酸のように柄細胞分化の連鎖反応を引き起こすことが可能だと考えられる(Anjard et al., 1998a).

胞子の分化

予定柄細胞から柄細胞への分化が少しずつ途切れなく続くのに対し,予定胞子細胞から胞子への分化は急速におこる.子実体形成の過程を適切な照明条件の微速度撮影で観察すると,はじめ全体に透明で縦長の形態をしていた組織全体(sorogen)が急に短く丸い形になるとともに,予定胞子領域が濁って見えるようになる.これは予定胞子細胞が胞子外皮を形成した結果,それまでの細胞接着を失い,光を散乱するようになるためと考えられる.子実体形成過程の連続写真や多数の染色した切片の観察と,胞子分化の直前に発現されるspiA遺伝子の発現パターンから,胞子分化は予定柄領域に接する部分から始まり下の方に伝播することが示されている(Bonner, 1944; Richardson et al., 1994).このことから胞子分化を誘導する信号が,突起部分か予定柄細胞から来ているのではないかと想像されていたが,短時間で胞子分化を誘導する活性が,胞子に分化しつつある細胞の培養上清から見いだされた.Spore Differentiation Factor 2 (SDF-2) と名づけられたこの活性の本体は予定柄細胞から分泌されるペプチドと考えられ,ヒスチジンキナーゼの1つDHKAの細胞外ドメインに結合して胞子分化を引き起こすとされている(Anjard et al., 1998b; Wang et al., 1999).


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前田靖男 編(2000) 「モデル生物:細胞性粘菌」 アイピーシー ( 出版社による本の紹介)
第6章第2節 井上 敬 「分化パターンの調節と形態形成」 (一部改訂)
- 出版社および編者の承諾を得て掲載 -

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