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4. 細胞型の比率調節

比率調節と言えば,予定柄細胞:予定胞子細胞の比率が移動体のサイズに依存しないこと(size invariance)と,片方の細胞型を除いたときに残りの細胞が分化転換によって正常な比率に戻ること("regulation")が区別なしに議論されることが多いが,これらは必ずしも同じ機構によっているとは限らない.まず,細胞が初めに分化するときに比率がどのように決まるのかを考える.

柄:胞子の比率

前にも述べたように,D. discoideumの子実体の大きさは広い範囲にわたっているが,どれも大体おなじ形をしていて,胞子群と柄,基盤の割合はサイズによって大きくは変わらない(Raper, 1941).これまでに報告されている比率測定の結果は,全体として子実体のサイズによらず比率がほぼ一定であることを示しているが,細かく見ると,小さい子実体ではサイズが小さいほど柄細胞の割合が大きくなる傾向がはっきりしており,D. mucoroidesなどの他のいくつかの種でも同様の傾向がある(Hashimoto et al., 1988; Nanjundiah and Bhogle, 1995; Bonner and Dodd, 1962).逆に,大きい子実体では大きいほど柄細胞の割合が高くなる傾向がわずかに見られることがある(Stenhouse and Williams, 1977; Williams et al., 1981).細胞数の推定の方法や用いた細胞株,実験条件などによって結果が影響されるので,個々の測定結果は必ずしも一致しないが,何らかの傾向があるということは,少なくとも一つひとつの集合体がそのサイズを知り,それにしたがって比率を調節していることを意味している.Nanjundiahらは,非常に小さな子実体における胞子と柄細胞の数の比が子実体間で統計的に非常にそろっていることを示し,このようなばらつきの少なさはそれぞれの集合体の中での調節無しにはあり得ないことを明解に示した(Nanjundiah and Bhogle, 1995).このとき,厳密に細胞数が調節されているのは胞子:(柄+基盤)であり,柄と基盤の間のふりわけは制御されていないらしい.あとで述べるように予定柄細胞と予定胞子細胞は変換可能であるし,子実体形成の時に分化転換がおこる場合もあるので,このような方法だけでは,最初に予定柄細胞が分化するときに一定の分化比率が達成されているとは言えないが,遅くとも移動体の時期には予定柄細胞と予定胞子細胞の比率はどの移動体をとってもおおむね一定になっている(Bonner, 1957; Hayashi and Takeuchi, 1976).

比率調節因子としてのDIF

比率が一定になる機構を考える前に,まず一つの集合体にはかならず予定柄細胞と予定胞子細胞の両方が分化することに注目する必要がある.必ず2つの種類の細胞が生じる機構としていちばん考えやすいのは,1つの細胞型(仮にAとする)に分化した細胞が他の細胞を別の細胞型(B)に分化させるような信号を出すというものだろう.主としてBがこの信号を不活性化する場合には,どのような条件でもA, B両方の細胞型が生じる.さらに,この信号が拡散性の物質で,その合成と分解のバランスによって一定の濃度に保たれる場合は,それだけで一定の比率を達成することができる.上に見たように,予定胞子細胞で作られたDIF-1が予定柄細胞への分化を誘導するとともに予定柄細胞で不活性化されるので,DIF-1はこの条件を満たしている.DIF-1 dechlorinaseが予定柄細胞だけで発現するのはこの意味で重要だ.逆に予定柄細胞が予定胞子細胞への分化を誘導する信号を出すのでも同じ目的を果たせるが,psp-遺伝子の発現がpst-遺伝子の発現に先行することから,このような仕組みがあったとしても2次的と考えて良いだろう.KayはDIF-1の作用に基づいて次のようなモデルを提唱している(Insall et al. 1992; Kay, 1997).細胞は集合体を形成するとDIF-1をつくり始め,集合体中でのDIF-1の濃度が上昇する.集合体中の細胞のDIF-1に対する感受性(たとえばDIF-1レセプターの数)には当然ばらつきがあるので,DIF-1の濃度が一定レベルを越えると,感受性の高い細胞から予定柄細胞に分化し始め,それと同時にDIF-1 dechlorinaseも誘導される.その結果,集合体中でのDIF濃度の上昇は抑えられ,他の細胞が必要以上に予定柄細胞になるのを防ぐ.まだ予定柄細胞と予定胞子細胞はまざりあった状態なので,集合体中でのDIF濃度は均一で,予定胞子細胞による合成と予定柄細胞による分解がつり合っている.しかし,予定柄細胞はcAMPを多く分泌し,cAMPに対する走化性も高いために互いに集まって突起を形成し,突起が伸びるにしたがって予定柄領域が移動体の前,予定胞子領域が移動体の後ろという分布パターンが形成される.この仮説には,予定柄細胞がなぜ集合体の頂上付近に集まるかの説明が別に必要だが,これまでの知見を定性的によく説明している.予定柄/予定胞子のパターンが形成されたあとも分化状態が保たれるのはなぜか,という問題は後で取り上げる.

アンモニア

アンモニアは生物活動があれば,アミノ酸などの脱アミノ反応で生ずる普遍的な物質で,DIFのような特化した分化調節物質ではないが,細胞の分化や運動に大きな影響を及ぼす.細胞性粘菌の発生過程は飢餓条件下にあり,すべてのエネルギーを自分の体を構成する蛋白質やRNAを代謝することによって得ているので,アンモニアの生成が多い.とくにエネルギー消費の多い予定柄細胞,さらに,細胞質をほとんど分解し尽くす柄細胞の分化過程で多くのアンモニアが発生する(Gregg et al., 1954; Walsh and Wright, 1978; Cotter et al. 1992).

アンモニアは,後で述べるようにPKAの活性を抑制し,子実体形成の制御に重要な役割を果たすが,低い濃度域では予定柄細胞への分化を抑制し,予定胞子細胞への分化を促進する(Gross et al. 1981; Bradbury and Gross, 1989; So and Weeks, 1992).プロピオン酸などの弱酸やプロトンポンプの阻害剤がアンモニアなどの弱塩基とは反対の作用をすることから,アンモニアは細胞質あるいは酸性小胞内のpHを上げることによって細胞分化に影響を与えていると思われる(Gross et al., 1988).しかし,予定胞子細胞の分化,特にcot遺伝子群の発現は完全にPKAの活性に依存しているだけでなく,ecmAの発現はPKAの触媒サブユニットを欠く細胞でもおこすことができることから(Mann et al., 1997),分化の比率に対するアンモニアの影響はPKAの活性化の抑制とは異なる経路によると考えられる.また,DIF-1によるpst-遺伝子の誘導がアンモニアなどの弱塩基によって抑制され,弱酸で促進されるのに対し,psp-遺伝子の発現はこれらの影響を受けない(Wang et al., 1990; van Lookeren Campagne et al., 1989).このように,アンモニアはDIFに拮抗することによって分化の比率に影響を与えていると思われるが,その機構はわかっていない.

比率の異常な突然変異

一方,これまでに予定柄細胞と予定胞子細胞の比率が正常の範囲から大きく外れている突然変異体がいくつか単離されていて,その解析から予定柄領域が他の細胞が予定柄細胞になるのを抑える信号を出していることが示されている.MacWilliamsらは予定柄領域が非常に短い突然変異株(prpA = HS2)と,逆に通常の3倍ほどもある突然変異体(prpZ)を単離し,野生型株との間で移植や混合の実験をおこなって,これらの比率の異常が予定柄細胞になるのを抑制する因子(prestalk inhibitor)の存在を仮定することで説明できるとした.たとえば,prpAの細胞を野生型の細胞と様々な割合で混合して集合させると,prpAの細胞が優先的に予定胞子細胞に分化し,野生型細胞は予定柄細胞に分化するものが多くなる.この結果は,予定柄細胞が出すと仮定しているprestalk inhibitorに対する感受性がprpAの細胞では野生型より高くなっているとすれば説明できる.しかし,prpAの移動体の予定胞子領域にある前部様細胞の比率が野生型と変わらないので,このprestalk inhibitorは前部様細胞から予定柄細胞への変換を抑えていることになる(Blaschke et al., 1986; MacWilliams, 1982; 「6. 分化した細胞の空間配置 − 突起の抑制と突起の形成」を参照).

予定胞子細胞が減少し前部様細胞が異常に多い突然変異体も見つかっていて,そのひとつでは予定胞子分化の促進物質としてのcAMPに対する感受性が低いことが原因になっていると推定されている(Bichler and Weijer, 1994).MAPキナーゼキナーゼキナーゼに相同のMEKK$\alpha$の機能が失われた突然変異株も,これと似た表現型を示し,やはり予定胞子分化の促進信号に対する感受性または反応性が低いことが原因と考えられる(Chung et al., 1998).また,wariaiと名づけられたhomeoboxを持つ遺伝子(Wri)を破壊すると,やはり予定胞子領域が小さくなるが,Wriの発現が,遺伝子破壊の影響が出るpstO細胞,予定胞子領域ではなくpstAと前部様細胞に限られることから,予定胞子分化の促進物質に対する感受性の低下でこの形質は説明できない.野生型細胞との混合実験では,野生型細胞の分化の比率も同じように影響される(Han and Firtel, 1998).これらの結果は,予定柄細胞が出す信号物質の量がwri突然変異細胞では少ないと解釈できる.

ほとんど柄だけからなる子実体をつくるstalky突然変異体では,それまで正常に見えた予定胞子細胞が,子実体形成の時に胞子にならず柄細胞に分化転換する(Morrissey et al., 1981; Chang et al., 1996).

分化転換による比率調節

集合体の中で生じた予定胞子細胞と予定柄細胞は将来の運命が完全に決まってしまっているわけではない.D. mucoroidesのように柄をつくりながら移動する種では,減少し続ける予定柄細胞を補うように予定胞子細胞から予定柄細胞への変換がおこる(Gregg and Davis, 1982).D. discoideumでも少数のpstAB細胞が予定柄領域から失われるので同様の変換がおこっていると考えられる.しかしこのような細胞型の転換が劇的に見られるのは,移動体を予定柄領域と予定胞子領域に切断したときである.移動体をこのように切断すると,突起を失った予定胞子領域は長さが縮まってmoundのような形になるが,予定柄領域は小さな移動体として移動を続けるか,その場で子実体になる.予定柄領域からその場で生じた子実体は,予想されるように胞子がほとんど無く,柄だけのようなものだが,切断後に移動してからできる子実体は胞子塊を持ち,切断後の移動時間が長いほど比率は正常に近づく.一方,丸くなった予定胞子領域には2,3時間で突起が再生し,正常な比率の子実体ができる(Raper, 1940; Bonner et al., 1955; Sakai, 1973; Sampson, 1976).

このとき予定胞子断片では,前部様細胞が集まって新たな突起を生じるとともに,予定胞子細胞から前部様細胞および予定柄細胞への転換がおこる(Takeuchi et al., 1982; Sternfeld and David, 1982).このような変化は,単に切断による刺激が原因でおこるのではない.つまり,移動体の予定柄領域が存在することによって予定胞子細胞の分化の状態が保たれる.移動体の前の部分の存在を予定胞子細胞が知るのにも,cAMPとDIFが関わっていると思われる.DIF-1 dechlorinase活性が予定柄細胞に局在していることを思い出すと,予定柄領域の減少はそのまま予定胞子領域におけるDIF-1の濃度の上昇をもたらすはずだ.つまり,先に述べた仮説のように,最初に予定柄細胞が適切な比率で生ずるのがDIF-1に依っているとすると,それと同じ機構がここでも働いて予定柄細胞が生じても不思議でない.ただ,今度はすでに分化している予定胞子細胞を強引に予定柄細胞に転換させなければならないので,より高い濃度のDIF-1が必要だが,予定柄細胞だけがDIF-1を分解できるので,必要なだけ分化転換がおこって釣合が取れるまでDIF-1の濃度は上がるはずである.実際,切断から1時間以内の予定胞子断片でDIF-1 dechlorinase活性の急速な上昇が見られるが(Kay et al., 1993),DIF-1 dechlorinaseの活性がDIF-1によって強く誘導されるので,この活性上昇はDIF-1の上昇を反映していると考えられる.一方,上に述べたように予定胞子細胞の分化にはcAMPが必要で,移動体中でもcAMPが無くなると予定胞子細胞の状態を維持できない(Wang et al., 1989).cAMPが単純な拡散ではなく細胞間のリレーによって伝わると考えられることから(「7. 形態形成運動の機構 − cAMP信号」を参照),cAMPの信号の源があると考えられる突起の再生が,予定胞子細胞の維持のためにも必要だと言える.

標識した予定柄領域断片を別の移動体の予定胞子断片に移植して,その後の予定柄細胞の運命を調べると,予定柄細胞から予定胞子細胞への転換は非常に低い頻度でしかおこっていない.このことから,予定柄細胞から予定胞子細胞への転換も,予定胞子細胞が然るべき数より減ったという情報が予定柄細胞に伝わった結果おこるということができる(Akiyama and Inouye, 1987).移動体の切断だけではなく,予定胞子細胞をPKAの過剰発現によって胞子に分化させる,またはpsp-遺伝子のプロモーター制御下でヒマ種子の毒素ricinのA鎖を発現して蛋白合成を止める,というような方法で予定胞子細胞を相互作用のネットワークから除いても,このような分化転換が誘導される(Mann et al., 1994; Shaulsky and Loomis, 1993).また,予定胞子細胞への転換による比率調節は,cAMPを含んだ溶液中での懸濁条件でもみられ(Oyama et al., 1983),またシャーレ中での低い細胞密度でもおこり,細胞が移動体の組織を形作っている必要はない.このとき,細胞密度が低いほど最終的に生じる予定胞子細胞の比率は高くなることから,予定胞子細胞による負のフィードバック阻害があり,阻害が無くなると予定柄細胞から予定胞子細胞への分化転換がおこることが想像される.実際,予定胞子細胞を1時間培養した上清には予定柄細胞の分化転換を強く阻害する活性があるが,予定柄細胞の培養上清からはまったく検出されない.この阻害活性の特性がDIFのそれと非常に似ていることや,DIFをわずかしか作らない突然変異株ではこの阻害活性が低いことから,DIFがこのフィードバック阻害活性の実体ではないかと予想されるが,DIF-1そのものではなく,その関連物質である可能性もある(Inouye, 1989 と未発表データ).


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前田靖男 編(2000) 「モデル生物:細胞性粘菌」 アイピーシー ( 出版社による本の紹介)
第6章第2節 井上 敬 「分化パターンの調節と形態形成」 (一部改訂)
- 出版社および編者の承諾を得て掲載 -

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