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2. 細胞分化

細胞が集合してできた小丘状の集合体中で,各細胞は予定柄細胞(prestalk cell)・予定胞子細胞(prespore cell)のいずれかに分化し,予定柄細胞は最終的に子実体の柄細胞に,予定胞子細胞は胞子になる.予定柄細胞と予定胞子細胞はまだ分化の可塑性を保持していて,たがいに分化転換したり脱分化したりできるが,それぞれ違った遺伝子のセットを発現しており,形態的にも機能的にも明確に分化している.各細胞型で作られる蛋白の2次元電気泳動の解析から,胞子への分化には専用の蛋白が多数かかわっていると考えられ,そのうちの多くのものは予定胞子細胞の時期からすでに存在している.これに対し,予定柄細胞で新たに出現する蛋白の種類は比較的少なく,むしろ柄細胞に分化するときに多い(Morrissey et al., , 1984).このちがいは予定柄細胞と予定胞子細胞それぞれの性質に端的にあらわれていて,細胞性粘菌の発生全体を理解するのにも重要と思われる.

予定柄細胞

予定柄細胞と予定胞子細胞は,どちらもアメーバ状で同じように見えるが,neutral redやNile blueのような塩基性色素で生体染色すると,予定柄細胞が強く染色される(Bonner, 1952).これは,予定柄細胞では自食胞(自己貪食胞,autophagic vacuole)とよばれる構造が非常に発達していることによっている(Yamamoto and Takeuchi, 1983).自食胞は,細胞が飢餓状態に陥ったときなどに自分の細胞成分を分解する自食作用(autophagy)をおこなう小胞で,エンドソームなどと同様に内部が酸性になっている.これが予定柄細胞で特に発達するのは,外界からのエネルギー源の補給が絶たれたなかで予定柄細胞が形態形成運動の原動力の大部分を担い,最終的には細胞質のほとんどを分解し尽くして柄細胞になることに対応している.これに対し予定胞子細胞がneutral redなどで強く染まらないのは,予定胞子細胞の分化にともなって自食胞が急速に減少し,自食胞内部の酸性度も弱くなるためと考えられる(Yamamoto et al. 1981; 2-2を参照).このことは,予定胞子細胞が最終的に胞子となって次の世代に生命をつなぐことを考えると,細胞内の高分子をできるだけ温存する方が有利なためと解釈できるだろう.

Neutral redで染色された細胞の集団の形態形成過程を観察すると,はじめ細胞集団全体がほぼ均一に染まって見えるが,次第に染色の強い領域と弱い領域がはっきりしてくる.染色パターンが現れる時期は実験条件によって大きく変わるが,移動体では,その前の部分1/4ほどが赤く染まるパターンが見られること多い.移動体前部の赤く染まる領域(予定柄領域)は,子実体を形成するとき柄に分化する(Bonner, 1952).予定柄領域の後につづく色のうすい大きな部分は主に予定胞子細胞からなるが(予定胞子領域),よく見るとこの領域にも予定柄細胞と同様に濃く染まった細胞がかなり存在することがわかる.これらの細胞は,移動体前方にいる予定柄細胞とほとんど区別できないため,前部様細胞(anterior-like cells, ALC)とよばれている(Sternfeld and David, 1981a).ある程度移動した移動体では,後端に近い部分に前部様細胞がたまって濃く染色された領域が見られる.これらの細胞は,その位置から後衛細胞(rear-guard cells)ともよばれる.後衛細胞には,移動体の運動の間に少しずつ取り残されるものがあり,その多くは移動体の通った後に残るslime sheathの中で柄細胞に分化する.前部様細胞の多くは,移動体の中でも底質に近い部分に存在するが,その前後方向の位置は固定したものではなく,予定柄領域との間でもかなり出入りがあることが知られている(Bonner, 1957; Kakutani and Takeuchi, 1986).子実体の形成が始まると,大多数の前部様細胞は予定胞子領域の上と下に選別されるが(その形状から,それぞれupper cup, lower cupとよばれる),その多くは胞子塊の上と下にとどまり柄細胞にはならない(Sternfeld and David, 1982).後衛細胞は基盤の外周部を形成する(Sternfeld, 1992).

予定柄細胞のサブタイプ

ここに述べた予定柄細胞の分布と運命は,発達した自食胞を指標としたものだが,Williamsらは,予定柄細胞だけで転写される遺伝子のプロモーター領域にレポーター遺伝子をつないでD. discoideumの細胞に導入し,その発現を詳しく調べることによって,予定柄細胞には明確に区別できるサブタイプがあることを明らかにした(Williams et al., 1989).予定柄細胞分化の標準的なマーカーとして用いられているecmA, ecmB遺伝子は,移動体から子実体の時期につくられる互いに似た細胞外マトリクス蛋白をコードしている.移動体先端の内部には,しばしばecmA, ecmB両方の遺伝子を発現している細胞が見られるのに対し,それを取り囲む細胞ではecmAのみが強く発現している.これらの細胞は,発現しているecm遺伝子の名前をとって,それぞれprestalkAB細胞(pstAB細胞),prestalkA細胞(pstA細胞)とよばれる.その後方にはprestalkO細胞(pstO細胞)と名付けられた細胞の一群がある.pstO細胞はpstA細胞に比べecmA遺伝子の発現が低い.ecmA遺伝子のプロモーター領域の転写活性の解析から,pstO細胞でのecmAの発現にはプロモーターの上流域(ecmOプロモーター)だけが必要なのに対し,pstA細胞におけるこの遺伝子の強い発現には下流部分(ecmAプロモーター)も必要なことがわかっている(Early et al. 1993).これらのpstAB細胞,pstA細胞,pstO細胞の領域が,移動体の前方においてneutral redで染色される予定柄領域に相当する(図1).中でも,pstAB細胞はneutralredやmethylene blueで特に強く染まる(Sternfeld, 1992).


A 移動体における細胞分化のパターン   B 分化パターンの模式図

図1 移動体における細胞分化のパターン
A. ecmAO, ecmA, ecmO, ecmB, cotCプロモーターの制御下での大腸菌beta-galactosidaseの発現を示す.著者撮影. B. 子実体形成過程での分化パターンの模式図.J. Williams博士(University of Dundee, Scotland)のご好意による原図を一部改変.

前部様細胞の多くは,ecmOプロモーターによるecmA遺伝子の発現があることから,pstO細胞と同等であると考えられる.子実体形成に際しては前方に選別され,一部は他のpstO細胞とともに柄細胞になるが,一部はupper cupを形成する.残りの前部様細胞はecmBを強く発現するが,ecmOプロモーターによるecmA遺伝子の発現はきわめて弱い(pstB細胞).これらの細胞は予定胞子領域の中でも底質に接している部分に集まる傾向が強く,子実体形成過程では予定胞子領域の下方に選別したのち,その場にとどまって基盤となるものと,予定胞子細胞について子実体を上昇してlower cupを形成するものとに分かれる.

予定胞子細胞

予定胞子細胞を最もよく特徴づけるのは,予定胞子液胞(PSV, prespore vacuole)の存在である.このオルガネラには,さまざまな多糖類や糖蛋白複合体が蓄えられていて,それらは予定胞子細胞から胞子への変化が起こる際に,エクソサイトーシスで細胞外に出され,胞子外皮の構成成分となる(6-1参照).PSVに蓄積する蛋白複合体の一つであるPsBの構造と生成が詳しく調べられていて(MacGuire and Alexander, 1996),その構成成分であるSP96, SP75, SP60蛋白の遺伝子(cotA, cotB, cotC)は予定胞子細胞の分化の標準的な指標となっている.PSVに蓄積される多糖の合成に必要なUDP-ガラクトース転移酵素は,予定胞子細胞だけで発現される酵素の代表的なもので,予定胞子細胞の分化の生化学的な指標として使われてきた(Sussman and Osborn, 1964).また,予定胞子細胞では,糖蛋白の糖鎖の合成に必要なフコースの取り込みがさかんで,特に予定柄細胞から予定胞子細胞への分化転換が誘導されると,フコースの取り込みがすみやかに開始される(Gregg and Karp, 1978).

予定胞子細胞は予定柄細胞に比べずっと均質で,分布領域も一つながりになっており,子実体形成に際しては基本的にすべて胞子に分化する.もっとも,場所による細胞状態の違いがあることも知られている.この時期の細胞は,すでに10時間以上にわたって外からの養分の摂取がないが,前部の予定胞子細胞の一部ではDNAの複製と細胞分裂が見られる(Bonner and Frascella, 1952; Durston and Vork, 1978).一方,cotC遺伝子における転写調節エレメントの解析と,rZIPとよばれるRING/zipper蛋白の遺伝子の破壊株の解析から,移動体内にはcot遺伝子群の発現を誘導する信号があり,その強さが予定胞子領域の前から後に向かって減少することが示唆されている(Haberstroh and Firtel, 1990; Balint-Kurti et al., 1998).


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前田靖男 編(2000) 「モデル生物:細胞性粘菌」 アイピーシー ( 出版社による本の紹介)
第6章第2節 井上 敬 「分化パターンの調節と形態形成」 (一部改訂)
- 出版社および編者の承諾を得て掲載 -

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